「子供の領分」



さらさらと指からこぼれる濃緑色の髪。
男にしては長い睫毛が閉じた目のまろみを縁取り、白磁の肌に影を落としている。
 (キレイだよな〜)
そっと手を伸ばして白い肌に触れてみれば、想像していたと同じぐらいに指先へと伝わる温もりとすべらかな感触。
荒れているインナーの指で触れれば傷つけてしまいそうなほど柔らかくて。
 (…市街のヤツってみんなこうなんかな?)
初めて見た市街の人間。
それはとてもとてもキレイで。
突然、兄貴が何も言わずに居なくなった日から、どうやったって荒んでしまう自分の心が軽くなっていくようで。
どう見ても11、2歳ほど―――自分と同い年位の少年をカズマはのめり込むように見つめた。
 (昔、勝手に見たクーガーの本に載っていた絵のヤツみたいだ)
真っ白い姿で。
真っ白い羽根を持った。
真っ白い人物。
…それが宗教画と呼ばれるものであり、その絵が天使の降臨を描いたものだとカズマには分かるはずもなかったが。



 「…ん……」
触れていた指に自然と力が入ってしまったのか。触れていた相手が小さな声で呻きを上げると、柳眉を顰めながらもカズマの前で瞼をゆっくりと開けていく。
 「うわ、悪いッ!」
 「だ…れ……?」
ぱっと指を離しながら慌てて謝れば、押し上げられたまろみの下から濡れた緋色が現れる。
その、見事なまでの血石に息を呑んだカズマは、一瞬でそこから目を離すことができなくなった。
 「…君は誰?」
瞳に僅かに滲む不安と困惑。
そして、状況を知ろうとする意思を感じ取ったカズマは、呑まれたように見続けていた血石から自分を取り戻す。
 「その…、オレはカズマって言うんだけど。」
 「カズ…マ?」
 「あー、…つまり、その…アンタ、市街から誘拐されて来たんだろ?」
もっと遠回しに。傷つけないように問う言葉を考えるけれど、結局、口から出たのは真っ直ぐな言葉。かなりストレートな台詞を内心で悔やむが、それでも目の前の少年は臆することなく頷く。
そのことに関心半分、興味半分で言葉を重ねた。
 「ん。…そんで、オレはアンタを浚った連中を、別のトコロからの依頼を受けてボコったんだけど、そのついでにめぼしいものでも頂戴しようかと思って荷物を見たらアンタが居て…。まあ、ほっとくワケにもいかないから、とりあえずオレの寝床に連れてきたんだ。」
「分かった?」と口にすれば、再びこっくりと頷かれる。
あのまま放っておけば、こんなキレイな子供などアッという間に餌食にされていただろう。はっきり言って、そうなっても自分には関係が無い…と言えるが、見てしまった以上は無視できなかったし、このキレイな存在が汚されるのは何だか嫌だったから。
 「僕は君に助けられたんだね。…ありがとう。」
頭の回転は悪くないのか。カズマの言葉で状況を悟った少年は、ふんわりとした笑顔を見せてカズマに礼を述べた。
 「なっ…/// バ、バカか!? 礼なんて言ってんじゃねぇよ!」
 「…どうして?」
さっと頬を朱に染めたカズマの台詞に首を傾げれば、見たこともない強い光を宿した琥珀と冷然とした笑みが口元を彩る。
 「はっ! ンなの分かり切ってるじゃねーか? アンタみたいなキレイなガキは崩壊地区では高く売れる。…オレがそうしようとしてアンタを連れてきたとは思わねぇのかよ!?」
…目の前の、自分と同じぐらいの歳に見える少年の意図が掴めない。
確かに、インナーの良くない噂は耳にしている。少年の言うように、人身売買などということも横行しているのだろう。
 (でも、…その目が)
その瞳が、自分の言葉に自分で傷ついているように見えたから。
 「…思わないよ。」
直感なんて曖昧なものを信じるなんて今までなかったけれど。
今はそれを信じてみようと思った。
 「…………」
 「君はそんなことしない。…それに、そんなことをしようと考えているなら、住んでいる場所に僕を連れてこようなんてしないはずだよ。」
 「…お前……」
絶句したように呟くカズマに安心させるような笑顔を向けながら少年は自分の名前を口にした。
名前を呼んで欲しいと思った。十把一絡げではなく、カズマには自分を『自分』として認めてもらいたくて。
そんな衝動は初めてだったけれど。でも、それは心地よかった。
 「劉鳳。」
 「……へ?」
 「僕は劉鳳だよ、カズマ。」
 「りゅーほー…。ああ、刻んだ。アンタは劉鳳、だな。」
奇妙な偶然と必然の織りなすまま二人は出会い。
こうして、奇妙な共同生活は始まったのだった。



その噂を聞いたのは、劉鳳を拾ってから一ヶ月ほど経ったときのことだった。

 『市街の金持ちの家から子供が浚われた。』

それが誰のことを指すのか…、不本意ながらカズマにはすぐに分かった。
 (劉鳳…)
ずっとこのままなんて有り得ないと分かっていた。
分かっていた…けれど、理解しているのと納得しているのでは全く違うということを、カズマはそのとき初めて知った。
 「…―――カズマ?」
あまりにも近くで呼ばれた名にぎくり、と背を強ばらせる。
いつの間にか思考の海に転がり落ちていたのか、劉鳳が側に寄ってきていることにさえ気づかなかった。
 「……あ、悪りぃ。何か用だったか?」
 「そうじゃないけど…。ぼーっとして、気分でも悪いの?」
そっと額に触れてくる手にカズマは目を閉じる。
こうして、自然と差し伸べられる劉鳳の優しさにどれだけ癒されただろう。
…確かに、劉鳳は世間知らずで何もできないお坊ちゃんだった。
でも、教えれば何でも直ぐに上達したし、何より、自分には持ち得ない他者に対する優しさがあった。
裏切られたことのない人間が持つ、甘い幻想のようなものだと思いはするけれど、劉鳳にはこのまま変わらないでいて欲しい。
それは、まるで子供が初めて手にした宝物を大事にするような思いだったけれど。
でも、カズマの心の内に根付くはっきりとした想い。
 「……うん、熱はないみたいだ…」
 「平気だって! ちょっと考えごとしてただけだから。」
にっ、と笑って劉鳳の懸念を吹き飛ばしてやれば、劉鳳はその血石の瞳を瞬かせる。
 「…―――カズマが?」
 「あ、テメッ!」
 「あはは、ごめんごめん。…でも、調子が悪いときはちゃんと言ってね。」

だから。
だから、本当は納得していないし、納得できるようなものじゃないけど。

すっと一緒にいて、バカやって、笑って生きていたいけど。
インナーの苛酷な生活は、劉鳳を変えてしまうかも知れないから。
それの方が、別れるよりもっとずっと怖い。
 (…迎えが来たらちゃんと帰すから)
今はこのままで。
もう少しだけこのままで。
 (それぐらい思っててもいいだろ?)
…なあ、劉鳳。





食事を作ったり洗濯をしたり。
日常の色々な雑事をすることは案外楽しかった。
同じ視点でものを見て、同じ立場でものを語って。
夜がくれば一つのベッドで眠る。
…そんな、ママゴトのような生活。
ずっとずっと続けばいいと。
それがずっと続けばいいと。
どこかで、そう思っていた。

そんなことは、有り得ないのに。
どこかで願っていた。



 「…何か楽しそうじゃねぇ?」
隣を歩く劉鳳のどこか浮かれた様子にカズマは口を開く。
 「そう? …うん、まあそうかな。」
カズマの言葉に首を傾げた劉鳳だったが、次の瞬間には、自分自身で納得したような言葉を返す。
 「で、何でそんなに御機嫌なんだよ?」
 「だって、カズマと一緒だし。それに、久しぶりに保存食じゃないものも手に入ったから。おいしいものでも作れるなって思って…」
信じられないが、市街のお坊ちゃんでありながら劉鳳は家事が何故か上手かった。
曰く―――「母親の手伝いをしていたら上手くなった。」―――そうだが、金持ちの家というのは使用人がいっぱい居て、自分は何もしなくても全部ソイツらがやってくれるのではないだろうか?
 (それとも、オレの考えが間違ってンのか?)
…少々偏見が入っているが当たらずも遠からずといったところだろう。
ただ、劉家が少々特殊であるということだけだ。
 「ふーん…。んじゃあ、そいつを楽しみにしてるぜ。」
 「うん。」
ふわりとキレイな笑顔で笑う劉鳳に、カズマの顔にも自然と笑みが浮かぶ。

楽しい時間は早く過ぎていく。
そう、終わりは突然で呆気なかった。



隣を歩いていた劉鳳の身体がびくり、と強ばる。
真っ直ぐに向けられた瞳は驚愕に見開かれ、顔色は紙のように白くなっていく。
 「…劉鳳?」
その、突然の変化に戸惑いつつも、彼と同じように視線を前へと向ければ、自分が寝床としている小屋の前に、ここでは不釣り合いなほどの立派な車が停まっていた。
 「…………」
袋を抱えていた手を伸ばし、カズマの指に触れる。
ぴくり、と反応した身体が、それでも手を振り払わないのをいいことに、劉鳳はぎゅっとカズマの手を握った。
微かに震える劉鳳の指先が、衝撃の深さを物語っている。

このまま。
このままどこかに逃げてしまいたい。

でも、それはできないし、してはいけないことだと分かる。
自分と違い、劉鳳には帰る場所がある。
待っていてくれる人が居る。
家族だっているだろう。
そんな、劉鳳を大事に思ってくれる人たちの手から彼を奪って、それで自分が劉鳳のことを変えずにいられるのかといえば…自信はない。
 (この手が)
この手が大きければ。
彼の不安も全て包めるように大きくて力強ければよかったのに。
 「…アレ、アンタの迎えだろ?」
 「…………」
無言で手を握る劉鳳のそれを解き、彼から買い出しの袋を取り上げる。
いつか、こんな日が来ると知っていた。
納得してないけれど、分かっていた。
 「……行けよ。」
 「カズマ…」
でも、これで『最後』には絶対にさせない。
 「今は行けよ。…けど、ぜってぇアンタを浚いに行く。」
強くなって。
この拳で何もかもを掴んでみせる。
いつか。
いつか必ず。
 「カズマ…、僕……」
 「別れの言葉だったら聞かねーぞ。」
 「ううん、違う。…僕、カズマのこと待ってないから。」
にこり、と笑いながらの言葉に、カズマは目を瞬かせる。
 「…はぃい〜?」
 「僕、強くなる。強くなって僕が君を捜しに来るから。だから、僕は君を待たないよ。」
一緒にいたいなら、相手を待つだけでは駄目だ。
自分も相手と同じように強くならなければ。そうでなければ、いつか自分が重荷になってしまう。それは嫌だから。だから、強くなりたい。
 「…へへッ、言ってろよ! オレがアンタを浚いに行く方が絶対に早いね。」
 「僕が君のところに行く方が早いよ。」

強くなろう。
他でもない、自分の望みのために。

 「劉鳳、約束しようぜッ!! 絶対にもう一度…―――」





 「……懐かしい夢を見たな。」
セントラルピラーにほど近い、HOLY専用宿舎の自室で目を覚ました劉鳳は、懐かしい情景を描いた夢に小さく笑みをこぼした。
あのときの少年は約束を覚えているだろうか。
そして、今の自分を見たら何と言うのだろうか。

もう一度会うために身体を鍛え、武術を学び…。
でも、あの事件が全てを変えてしまった。

母の死。
市街では唯一の友だった愛犬の死。
そして、アルター能力の覚醒。
逃れられない流れに飲み込まれたように運命は流転し、自分は今ここにいる。
 「会いたいと思わない訳ではないが…」
初めてできた人間の友達。
生まれも育ちも全く違うのに、一緒にいることは苦痛じゃなかった。
でも、今は会えない。…会うのが怖い。
 「…お前にだけは、化け物と言われたくない……」
HOLYが、アルター能力者がどんな目で見られているのか知っているから。
 「弱いな、俺は……」
劉鳳は自嘲すると、まとわりつく思いを振り払うように頭を振りながら制服へと袖をとおすのだった。

だが、神ならぬ人の身の彼は知らない。
その日が運命の日であることを。



アルター化した拳の下でHOLDの装甲車がへこむ。
その衝撃でよろめくHOLYの女と慌てふためくHOLDの連中を内心で笑ったカズマは、反動で距離を取りながら不敵に笑った。
 「さーって、もうちょっと時間を稼がせて貰うぜッ!」
ぐっ、と拳を構えるカズマの前で、装甲車の一面が空気音とともに開かれる。逆光になって顔はよくは分からないが、そこには一つのシルエットがあった。
すらりとした長身。
隙のない立ち居振る舞い。
それを崩すことなく大地に降り立つとほぼ同時に背後で閉まった扉が内部の光を遮る。その逆光が遮られたおかげでHOLYの制服に身を包んだ相手の顔をカズマははっきりと見ることができた。
 「へぇ…、アンタが頭か…よ……!?」
濡れたように光る血石の瞳。
濃い緑なす髪。
白と青を基調にしたHOLYの制服は嫌みなほど似合っている。
 (何か…どっかで……)
全身の毛穴という毛穴が開くような、肌が泡立つような恐怖を感じながら、カズマは相手の姿形にどうしても覚えてしまう既視感に首を捻っていた。
一方、男の前でブーツの踵を滑らせながら、いつでも攻撃に移れるように肩幅に足を開いた劉鳳も、相手の男に感じる既視感に首を傾げた。
 (…どういうことだ?)

 「「…………」」

二人の視線が暫し交わる。
その妙な緊張感に周囲が唾を飲み込む中、二人は相手が誰なのかほぼ同時に気づくのだった。



 「「ああッ、お前(貴様)はッ!!!」」



幼い頃の大切な思い出。
けれど、何というかその…。
思っていたものとのギャップというか。

…要するに、現実はひどく無情であるということでv



 「ネイティブアルターだったとは騙したな!?」
 「そっちこそッ! (相変わらず美人なのはいいけど…)可愛げが無くなったッ!! しかもHOLY野郎だとおぉぉッ!?」
 「そんなこと貴様に言われる筋合いはないッ! 貴様こそネイティブアルターの毒虫だろうがッ!!」
 「ハッ! 何言ってやがるッ!? …男の純情踏みにじりやがって!!」
 「そっちこそ、俺の思いを汚しただろうがッ!?」
 「ぜってぇテメェが悪いッ!!!」
 「貴様が悪に決まっているだろうッ!!!」



 「あ…、あの……?」
はっきりすっぱりさっくりと周囲の困惑を無視して、端から見れば紛れもなく痴話喧嘩の延長上にある二人の言い争いは、いつまでもいつまでも飽きることなく続けられるのだった。
end