「未来航路」



気位が高くて、高慢で、誰にも懐かない。
そんな、血統書付きの猫のような奴だと思っていた。
でも、それは、ソイツの外見が女もかくやと思うほど整っているから感じてしまう印象であって、本来のソイツは、例えるならば猫ではなく犬なのだろう。
それも、大型犬。
でかい図体にも関わらず身体全体で人に甘えてきたり、千切れんばかりに尻尾を振って喜びを表現したり。
それがどこかあどけなく見えて可愛くて。

本当のソイツは、そんな奴だったりする。



右に行ったり左に行ったり。
あっちに行ったりこっちに行ったり。
ぱたぱた、くるくると動き回る姿を、カズマは椅子にだらしなく腰掛けながら眺めていた。
市街のお坊ちゃんで、HOLYの一員で。
凡そ、インナーである自分にホレたハレただの言いそうもない奴だと思っていたのに。
…自分は、そりゃあ一目惚れって言われても良いぐらいにすぐに好きになったけれど。正直、好かれるなんて思ってなかったから。
ちょっと、今の状況に戸惑っていたりもする。

劉鳳が自分のことを好きだなんて。

 (好き…か)
 「カズマ?」
 「…どわあぁぁあああッ!?」
急に目の前に現れた血石の瞳に驚愕の叫びを上げたカズマは、わたわたと身体を泳がせる。そんなカズマに劉鳳は目を瞬かせていたが、直ぐにふわりと柔らかい顔で笑う。
 「大丈夫か? …そんなにびっくりするとは思わなかった。」
 「だ、誰だって驚くって!」
 「…そうか?」
こくり、と小首を傾げる姿は随分と可愛らしい。
ドキドキと高鳴っていた心臓をどうにか宥めたカズマは、息を整えるために深い息を吐くと劉鳳に向き直った。
 「で、何か用なのか?」
 「ああ。…昼食ができたのだが。」
 「…んー、ああ、メシね……」
 「それで、その…冷めないうちに来てくれると嬉しいんだが。」
 「へーへー…、ったく小煩せーの。」
カズマのぼやきに劉鳳の表情が曇る。
けれど、その翳りは、劉鳳の強い意志の力で心の深淵へと直ぐに押さえ込まれてしまう。
 「じゃあ、俺は先に行っているから。」
 「ああ。」
…別にそうしろと言った訳ではないけれど、何度か家に足を運ぶうちに、劉鳳はかなみが牧場に行っている間、細々とした家事をこなすようになった。
まあ、その中には、自分の家事に対する壊滅的な腕も要因となっていたのだろうけれど、自分としてみれば、お坊ちゃん育ちのはずの劉鳳がこれだけ家事がこなせるというところが不思議だったりする。
 (でも、もっと不思議なのは、美味いってところだよなあ…)
劉鳳だったら、『栄養のバランスが整っていればいい』とか何とか言って、栄養剤だのバランス栄養食だのを食べていそうなのに。
 「意外だよなあ……」
…―――でも、嫌じゃない。
初めて出会ったときに抱いていた印象はすっかり崩れ落ちてしまったけれど、新しく刻まれた劉鳳はちゃんと血肉の通った人のように思えるから。
 「やべぇよな。何か、オレばっかり好きになっていくみてぇ…」
手のひらでうっすらと赤く染まった顔を隠すように覆いながら、カズマは苦笑したのだった。





どうして好きになったのかなんて分からない。
気が付いたら好きになっていた。
ずっとずっと忘れていた気持ち。
人間らしい暖かな心。

好きになって欲しいとは望まない。
ただ、側にいさせて欲しかっただけ。
でも、邪魔になるというなら。
目障りにならないようにするから。
…もう二度と会わないから。
だから、どうか。
想うことだけは許して欲しい。

それすらも駄目だというのなら、自分は―――。



 「…ねぇ、カスくん。ちょっと聞きたいんだけど。」
聞かれる内容が分かるので聞きたくありません。
…と言えればどんなにいいだろう(それを無視されるとしても、だ)。
 「……何だよ。」
 「劉鳳さん、最近来ないけど、どうしたのか知ってる?」
案の定、思った通りの問いにカズマは眉を顰める。
 「…知らねーよ。」
 「ホントに?」
 「ホントだって! …アイツはHOLY野郎なんだぜ。仕事でも忙しいんじゃねーの?」
 「―――うーん、カズくんの言うとおりかも知れないね。」
カズマに同意しながらも、かなみは内心で分かりやすい態度のカズマに溜息を吐いていた。
 (カズくん、バレバレだよ)
気にしてます、と言わんばかりにそわそわと落ち着きのない態度をしつつ、自分の質問に答えるときはどこか目が泳いでいる。
 (…また、カズくんが何か言ったんだろうけど……)
不器用だけれどカズマへの好意を隠さない劉鳳にカズマが戸惑っていたのには気づいていた。
抱いた想いに返される気持ち。
アルター能力者として迫害されてきたカズマが、それを信じ切れなくても無理はないとは思うけれど。
傷つけて、傷つけて、傷つけて。
それでも向けられる笑みを見る度に、気持ちを感じる度に、劉鳳の想いが本当であると確認していることを知っているけれど。
 (でも、好きな人にそんなことを言われ続けたら苦しくなっちゃうんだよ?)
好きだからこそ、苦しい。
好きだからこそ悲しくて、
 「…ねぇ、カズくん。」
 「何だよ?」
 「わたし、カズくんが何を劉鳳さんに言ったか知らないけど、気になるんだったら劉鳳さんのところに行った方がいいと思うよ。」
ずはり、と確信を突いたかなみの言葉に、カズマの身体が目に見えて強ばる。
 「べ、別にオレは……」
かなみはカズマの返事も聞かずに椅子から腰を上げると、廊下に続くドアへと手をかけた。
 「…知ってる? カズくんって、嘘つくときは絶対に人から目を逸らすの。」
 「…………」
言葉もないカズマをかなみは振り返ると、悪戯っぽい笑みを浮かべながら口を開く。
 「ねえ、カズくん。…―――劉鳳さんって競争率高そうだよね。」
 「……ッ!!」
 「わたし、買い物に行ってくるから。」
はっ、としたように息を呑むカズマを一瞥したかなみは、するりとドアを潜り抜けると後ろ手にそれを閉める。
 「……これで少しは正直になってくれるといいんだけど…」
8歳の子供ではなく、手のかかる子供を持った母親のような言葉を口にしながら、かなみは大きく溜息を吐くのだった。





 『こんなの全部コイツが勝手にやっているだけだろ!? オレは最初から迷惑だったんだよ!』
それは、多分、売り言葉に買い言葉だった。
ひょっこりと現れた君島に劉鳳とのことを冷やかされて、咄嗟に出てしまった言葉。
 『……え…』
 『あれだけ人のことバカにしてたってのによ。…今じゃあ手のひら返したように好きだ何だって勝手なことばかり言いやがって。バカにするのも大概に―――』
一旦溢れた言葉は止まらなかった。
不安。
焦燥。
何度も味わってきた裏切りの味が、自分を臆病にしている。
 『カズマッ!!!』
 『…―――ッ!?』
 『このバカッ! 調子に乗りすぎだ!!』
 『……あ…』
珍しい血石の色をした瞳が瞠られ、次の瞬間には暗く翳っていく。
思っていた以上に長い睫毛がその白い肌に影を落とし、薄い唇が言葉を紡ぐ。
 『……俺は、迷惑だったんだな…』
違う、と。
そう言いたかったのに。心も身体も凍り付いた様に動かなくて。馬鹿みたいに間抜け面を晒して劉鳳を見ていることしかできなくて。
 『…ずっと迷惑をかけて、済まなかった。』
耐えるように寄せられた柳眉。それでも、その秀麗な顔に笑みを浮かべていたけれど、それは笑顔と呼ばれるものとは逆に泣き出しそうに見えた。



 「…劉鳳。」
ビクッ、と鍛えられているけれど細い身体が怯えたように跳ねる。
 「…………」
 「あー…っと、その……」
劉鳳のことがずっと気になっていたカズマは、かなみにハッパをかけられたこともあり、結局、市街へと足を運んでいた。
上手い具合に劉鳳を捕まえられたのはいいけれど、何を言えばいいのか全く考えていなかった。
『迷惑じゃない』―――…そう言えば良いんだろうけれど、かなみに言われるまでもなく自分にだって劉鳳を傷つけた自覚ぐらいあるから。
許して欲しい。
でも、許してくれないかも知れない。
劉鳳が好きで、好きで、好きで堪らないから。嫌われたくなくて自分がどんどん臆病になっていく。
でも、自分のそんな臆病な心の痛みより、今の劉鳳の泣き出しそうな弱さの方が痛い。それが、自分がしでかしたこと故のものだから尚更だ。
 「…つまり……悪かったよ。」
 「……え?」
 「だから、悪かったって。…オレ、アンタに酷いこと言っちまったから。」
迷惑なんかじゃなかった。
嬉しくて、嬉しくて。でも、素直に喜べなくて。

…あれは、ただの八つ当たりだ。

 「そんなことはない。…俺がカズマの迷惑も考えなかっただけだから、気にしないでくれ。」
ふるふると頭を振りながら告げられる言葉は許してくれるものだったけれど。でも、やっぱりその表情はすぐれない。
 「劉鳳……」
大事な大事な宝物。
どこまで傷つけても壊れないのか。どこまで乱暴に扱っても傷付かないのか。簡単には信用できない臆病な自分が、それでも必死になって信じようとしたもの。

でも、それは壊れてしまった。

自分が壊してしまった。
 「…オレ、アンタに許してもらえねーかな?」
 「カズマ?」
 「すげぇ虫のいいこと言ってるって自覚あるけど。…オレ、アンタのこと好きだから。」
 「…―――ッ!?」
届かない恐さ。伝わらないもどかしさ。でも、そんなことに臆病になって、劉鳳を傷つけてしまった。
本音を晒すのは怖いけれど―――怖くても逃げたしたら駄目なんだ。
 「好きだから。…だから、オレ……」
 「―――…もういい。」
ふわりと腕が回されて、ぎゅっと抱きしめられる。カズマは、劉鳳に導かれるようにのろのろと腕を上げると、自らも劉鳳の背を掻き抱いた。
思っていた以上に暖かな温もり。考えていた以上に細い身体に何だか泣きたくなってくる。
 「劉鳳……」
 「もういいんだ。…お前の気持ちは分かったから。だから、無理に言葉になどしなくていい。」
 「…悪かった……」
 「ああ。」
 「ごめん…ごめんな……劉鳳…」
ふわりと浮かんだ穏やかな笑みにつられるように。
カズマも苦笑を口元に刻みながら、濡れたように光る血石の瞳に誘われるように、ゆっくりと唇を重ね合うのだった。





シーツの上に投げ出していた腕を伸ばして、のしかかっている相手の背へと回す。
僅かに自分の腕が余っているような気がするのは、自分の方が相手より体格が勝っているから。それは、相手が崩壊地区で育ったことの証明のようなもの。
けれど、肌を辿る指と唇に追いつめられて、どうしても回した腕の指先に込められてしまう力が感じる骨格が自分のものよりも強く感じられるのは、これからこの青年が成長する証だろう。
 「…ッ、はぁ…ぅ…」
やんわりと耳朶を甘噛みした唇が首筋を辿り、浮き出た鎖骨に歯を立てる。ぴりっとした痛みとじわりと湧き起こる熱に薄い唇から甘い吐息が零れた。
同じ性を持つ者に組み敷かれ、身体を開かれる恐怖がない訳ではないけれど。
それ以上に、相手を欲する気持ちが存在している。
 「ぁ…、ああ…ッ、ふぅ…!」
胸元を飾る小さな突起に触れられ、それを嬲られると言葉にならない痺れが背筋を駆け上がる。ちゃんと息をしているはずなのにだんだんと息苦しくなって、閉じることのできなくなった唇からはしきりに嬌声が漏れた。
 「劉鳳、ちゃんと息しろよ。」
 「…ッ、ふぁ…あ、あぁ…」
 「ほら…、吸って吐く。吸って…吐く。」
 「ふ…はぁ…」
宥める声にだんだんと呼吸が深くなる。痛いぐらいの鼓動が落ち着いてくると、身体から自然に力が抜けていった。
そして、まるでそれを見計らったようにするりと太腿を撫で上げる無骨な手に腰を揺らしたが、変に緊張することなくそれを受け入れることができた。
 「あ…、あ、あ…ッ!」
足の付け根をなぞり、緩く立ち上がりつつあるものに指が絡む。やんわりと撫で上げる動きに腰がびくつくのをどうしても止められない。
掻き抱いた背に爪を立てて這い上がる衝動を耐えるけれど、直接的な愛撫に限界を迎える。
 「も…もぅ、ヤダ…駄目…ぇッ!!」
ヒュッ、と鋭い息が吐き出され、甲高い悲鳴のような声とともに高まった衝動を吐き出した。開放感と痺れるような悦楽に全身の力を抜いてシーツに沈み込めば、その後を追うように唇が降りてくる。
何度も何度も、慰めるように唇へ、頬へ、目尻へと緒とされる啄むような口づけに、濡れた瞳を開くと続きを促すように頷いた。
 「はッ! あ…あぁ…ひぅ…」
触れたことのない場所をそろりと撫でられて息を詰める。宥めるように何度も入り口を撫でられれば、緊張に強ばった身体から自然に力が抜けていった。
 「…劉鳳。」
 「うぁ…あ、あ…ああッ!!」
確認を取るような声に微かに頷いて。けれど、つぷりと侵入してきたものに全身が戦慄いた。
 「大丈夫だから、力抜けって。…このままだとアンタが辛い…」
 「…そんな、こと…無理ッ…」
軽い舌打ちの音が耳に届く。自分でコントロールできなくなってしまった身体に情けなさも感じるが、正直言ってどうしようもない状態だった。
 「はあ…、いぁ…ン・くぅ…」
異物を排除しようと蠢く場所を解すためにそこかしこへと口づけが施される。そして、深く息を奪った唇に意識を奪われた身体は内を蠢くものを受け入れた。
 「…や、やぁ…ああ、あぁッ!…」
ゆっくりと、でも、確実に押し広げられていく内部に腰が逃げを打つ。しかし、しっかりと拘束された身体は逃げ出すことを許されずに、じわりと滲む視界を持て余しながら喘いだ。
 「…いいか?」
散々蹂躙の限りを尽くした場所に当てられる熱に身体が震える。
けれど、荒れ狂う熱を持て余しながらもこちらを気遣うようにかけられた言葉に自然と笑みが浮かんだ。
 「ああ。…―――お前なら、いい。」
その後は、身体を引き裂くような痛みと焦がしつくす熱に意識が真っ白になって。
痺れるような感覚と信じられないぐらいの快感。そして、身体の奥底に注ぎ込まれた熱を感じたのを最後に、意識が闇の中へと滑り落ちていった。





白い指が器用に動くのを不思議なものでもあるように見つめる。
劉鳳の指が動く度に編まれていく毛糸は、少しずつ形になっていく。
 「…アンタ、器用だよな。」
 「そうか? これも慣れなんだが。」
 「そういうモンか?」
 「少し根気がいるから、好き嫌いは分かれるだろうが。」
これから寒くなるだろう、と。
そんな一言から劉鳳が自分とかなみのセーターを編むと言い出した時、はっきり言って冗談だと思ったものだ。
 「カズマ、済まない。丈を見たいので背中を貸してくれるか?」
 「お、おう。」
何だか恥ずかしいけれど。ここにいるはかなみと劉鳳だけだから、と自分自身に言い聞かせて背を向ける。
 「…ふむ。お前はまだ成長すると思うから、少し大きめに作っておこう。」
 「へー…、そうなのか?」
 「ああ。―――多分、俺よりも大きくなるんじゃないか?」
それは嬉しいかも知れない。
やっぱり、身長が低いとキスの時に格好がつかないよな…などと思いつつ、後ろを向いていた視線を巡らせば、いつの間に現れたのか君島がにやにやとした笑いを口元に浮かべながらこちらを見ていた。
 「…………」
 「…………」
 「……ぷっ…」
 「……(ぷちっ)―――君島アァァァ!!!」
ガタン、と椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がったカズマに劉鳳が目を瞬かせる。
 「いや〜、カズマ君ッ! ラブラブですな〜v」
 「うるせーよッ! こんなの、コイツが勝手にしてるだけ…」
 「言わなくていいって。…もう、カズマ君ったら照れ屋なんだからぁv」
 「なッ!? オレは別にこんなの嬉しくも何ともねーんだからなッ!!」
喧々囂々と。一瞬にして騒がしくなったことに劉鳳は呆れて溜息を吐く。
 「…劉鳳さん、いいんですか?」
 「……?」
こくり、と首を傾げる姿は、HOLY隊員として恐れられている人物とは到底思えないほど無防備で幼い。
 「カズくん、あんなこと言ってますけど。」
 「ああ、そのことか。」
かなみの言葉に、彼女が何が言いたいのかを知った劉鳳は、その秀麗な顔に柔らかい笑みを浮かべる。
 「目が泳ぐんだ。」
 「…はい?」
 「カズマは、勢いだけで物事を否定するときには目がうろうろと泳ぐんだ。」
あっちにうろうろ。
こっちにうろうろ。
微妙に揺れているカズマの視線にかなみもくすりと笑みを零す。
 「ホントですね。」
 「ああ。…だから平気だ。」
そう良いながら、劉鳳はにこりとどこか楽しそうな笑みを浮かべてみせたのだった。
end