「彼氏彼女の事情」





無軌道、無秩序、無計画を地で行くように行動をしていても、やはり組織を個人で相手している以上、情報というものは必要になってくる。
HOLYに所属していた劉鳳は、自分でその情報を集めて重要なものとそうでないものを篩にかけることができるが、本能の赴くままのカズマにはそうはいかない。

そこで、情報を仕入れるため定期的に―――というか気が向いたら―――あすかや水守のところにカズマが顔を出すのは珍しくもないことだが、そこに劉鳳がいたことはかなり珍しいことだった。

 「カズマ、久しぶりだな。」
 「………」
 「定期的に橘や水守のところに顔を出すことは聞いていたが、かなみのところには行ってやっているのか? しっかりしているとは言え彼女だって寂しい思いをしているはずだ。少しぐらいは顔を見せてやれ。」
 「………」
 「カズマ?」
 「………」
 「聞いているのか?」
全く反応しないカズマに首を傾げた劉鳳は、目の前で手をひらひらと動かすが、そのショックを受けたように見開かれた瞳は何も映さない。
 「おい、どうし―――」

 「ア、アンタ…」
 「?」

ぷるぷるとカズマの身体が瘧のように震え出す。
別に構いはしないが、何か怒らせるようなことでも口にしたのかと思うけれど、特にそんなことはないと考えを改める。
では、何か別に事件でもあったのだろうか。
わずかに焦りを感じる内心を押し隠し、劉鳳はカズマへと詰め寄る。
 「一体何が…」

 「いつの間に性転換なんかしたんだぁ!!!??」

………。
言葉を遮るように叫ばれた台詞に、劉鳳の頭の中が一瞬真っ白になった。

性転換?

…性転換!?

 「…この馬鹿者ッ!! 俺は元から女だあぁああッッ!!!」

驚愕に戦慄くカズマの顎を劉鳳の放った綺麗なアッパーカットが見舞ったのは自業自得だろうと、後にその光景を見ていた目撃者は語った。



 「カズマって馬鹿ですね。」

劉鳳の一撃で気を失い、目が覚めてみればベッドの上。側についていたあすかに何があったのか、と尋ねてられて答えれば、容赦ない言葉が返ってきた。
 「な、何でだよッ!」
 「だって、あれだけ劉鳳と戦って、今の今まで劉鳳が女性だって分からなかったんですか!?」
 「う゛…」
 「確かに劉鳳は長身ですし、下手な男性よりも腕は立つし、男の僕から見ても格好いい人だと思いますよ。」
 「………」
 「でも、男にしては身体の線は細いですし、丸みを帯びているところはあるし。…普通、気づくものでしょう!?」
そう言われても、全然全く気づかなかったのは事実で。
 「あーあー、悪かったよ! 全然気づかなかったよッ!!」
 「威張れることですか。」
ぴしゃり、と見た目では優男の部類に入るあすかはカズマの反論を打ち切る。
最も、あすかがただの優男であるならば、悪事にかけては海千山千の猛者がいるロストグラウンドで会社経営などできるはずもないが。
 「しかもよりによって性転換だなんて…。あなたがそんな言葉を知っていることにも驚きですけど、それじゃあ劉鳳が怒るのも無理ないですね。」
 「けどよ〜、アイツがあんなカッコしてるからいけないんだって…」

黒色の、くりのつまったハイネックシャツに同色のスカートは、ただでさえ白い劉鳳の肌を際立たせていた。足元はシンプルなパンプスだったが、普段、ブーツを履いているせいか足首の細さが目に付く。
見慣れた顔に見慣れない柔らかな隆起を掻いた胸元。
長く伸びた髪が柔らかく風に舞って、それが綺麗だった。

 (あー、でも、アイツすげぇ美人だよなぁ…)
何だかいけない方向に思考が傾きそうになって、カズマはぷるぷると頭を振る。
 「…けど、何だってあんなカッコしてたんだ?」
 「桐生さんですよ。…彼女、劉鳳の制服が汚いって言って洗ってしまったんです。それで、乾くまでの間に別の服を着ようとしたんですが、折角だから少しでも女らしい格好をしろって言われて、あの服を押しつけられたそうですよ。」
 「あー…」
劉鳳が幼なじみである女性に弱いのは周知の事実だ。
自分としては、それは劉鳳があの黒髪のねーちゃんに惚れているからだと思っていたのだが、どうやらそれは違うらしい。

自分がかなみに勝てないような―――そんな家族のような間柄なのだろう。

 (なーんだ、そっか…って、何でオレが安心しなきゃなんねーんだ???)
胸につかえていたものがふっ、と消えたような安堵感にカズマは目を瞬かせる。
別に劉鳳が誰といちゃつこうがどうしようが構わない筈なのに。

どうして?

 「…とにかく、ちゃんと劉鳳に謝ってくださいね。あなたたちに喧嘩でもされて、また再隆起なんてことになったらシャレじゃ済まないですから。」
きちんと釘を刺してくるあすかに生返事をしつつ、カズマは不可解な自分の心に首を傾げていたのだった。





強くなりたい。
最初の原点はそこだった。
強くなりたい。
守られるだけでは大事なものを失うだけだと知ったあの日に決めた。

強くなりたい。

女であることを否定しようとは思わなかったけれど。
その望みのために、守られるだけを良しとする女は止めた。

 「…相変わらず頑丈な男だな。」
 「あのなぁ…、最初のセリフがそれかよ。」
程良い風の吹く木陰で本を読んでいた劉鳳にどう話しかけようかと悩んでいたカズマへと、相変わらず素っ気ない言葉が向けられる。
 「事実だろう。…俺の予想ではもうしばらく気絶しているはずだったんだからな。」
ぱたり、と本を閉じて見上げれば、どこかばつの悪そうな表情をしたカズマがいた。
 「ちッ! ひでぇなぁ、アンタ。」
 「性転換発言等をするお前が悪い。」
 「へえへえ、悪かったよ。」
そう口にしながら、カズマは劉鳳の隣へ腰を落とす。
何か言われるか、と思ったが、劉鳳は意外にも視線を寄越しただけで何も口にしなかった。
 「…なあ。」
 「何だ。」
相変わらず素っ気ない言葉に苦笑する。
声だけ聞いていれば自分の知っている劉鳳と変わりないというのに。その姿を目に映せば女だというのだから何とも不思議な話だ。
 「アンタ、どうして普段は男のカッコしてんの?」
 「似合うからだ。」
淡々と言われたセリフに目を丸くする。
 「マジ?」
 「冗談だ。」
 「…あのな……」
 「…理由は幾つもあるが、最大の理由としては守られることが嫌だったからだな。」
 「………」
 「俺は、守られていたが故に母と友を失った。その時に知ったことは、俺は守られたかったんじゃなく守りたかったんだということだ。真実の性別がどうであれ、外見が女であるというだけで譲られたり守られたりすることはままあるからな。俺はそれが嫌だった。…だから、外見だけでも男であろうとしただけだ。」

女だから、とか。
女だてらに、とか。
女のくせに、とか。
そういう言葉を聞くのはこりごりだったから。

 「HOLYじゃバレなかったのかよ?」
 「さあな。…だが、知られていたとしても面と向かって言われたことがないからな。聞かれれば答えるが、そうそう言い触らすものでもない。」
 「ふーん…」
少なくともあすかは知っていた。
そこから考えると、劉鳳が女だということはHOLYでは公然の秘密だったのだろう。
そして、それを受け入れていたのは、男だとか女だとかが些細なレベルの話と思われてしまうほどに。

劉鳳が真摯で、誇り高かったからだ。

 「…くくっ。」
 「!?」
 「ふ、あはははッ! らしい、らしすぎるぜ、アンタ!!」
急に笑い出したカズマに劉鳳はぎょっとする。
 「どうした? とうとう頭がイかれたか???」
 「くっくっく…、いや、やっぱアンタだと思ってさ。男でも女でも関係ねーって気づいた。アンタはアンタだ。オレが心底まで刻んだ相手だって、つくづく思っただけだ。」
アンタはムカつくし、腹が立つし、理屈ばかり口にする野郎で、いつか決着を付けるべき相手だけど。
 「…自分に嘘をつけねぇところは嫌いじゃねーよ。」

―――むしろ、好きかもしんない。

にっ、と笑いながら告げられた言葉に劉鳳の目が驚きに見開かれる。
その一瞬の無防備な表情の後、うっすらと頬を染めながら視線を外して毒づく劉鳳は見たことないほど可愛くて。
ああ、こんな所も好きかもしんない、と思う。
 「お前は馬鹿だ…」
 「馬鹿で結構だね。…こいつは正直なオレの気持ちだし。」
 「………」
 「―――で、アンタはオレのことどう思ってんの?」
 「な…ッ!」
何でそんなことを聞く、と言いたい。
言いたいけれど、覗き込んでくるカズマの瞳はどこか真剣で誤魔化すことができない。どうしてこんな告白じみたことをしなければならないのかと思いながらも、劉鳳は口を開いた。
 「お前は馬鹿で、単純で、後先考えない奴で、迷惑ばかりかける男だ。」
そして、いつか決着をつけるべき相手だけれど。
 「でも、全てを受け入れることのできる柔軟性を持ったお前には、正直、その…」

救われている。

小さな小さな声で呟かれた言葉は、隣のカズマに届くか届かないかといったところだったけれど。それでも、しっかりと劉鳳の言葉を受け取ったカズマは、見たこともないほどの柔らかな笑顔を浮かべるのだった。
end