「彼と彼(!?)の恋愛方程式」



 「…ふう……」
今日の出動に関する報告書を隊長の執務室に提出した劉鳳は、部屋から出るなり盛大な溜息を吐きだした。
叱責、とはいかないまでも、尊敬している相手に忠告されれば溜息の一つも吐きたくなるだろう。

 『…ところで、最近、君は少し余裕をなくしているように見えるが。』

隊長であるジグマールの指摘に、そんなことはない、と言いかけて止めた。
…自分の調子が狂っていることは指摘されるまでもなく気付いていたことだったから。
そろそろ注意の一つでもあるのではないかと思っていた矢先、出動命令がかかってアルター使いの捕獲に向かったのはいいけれど、ネイティブアルターの巣窟だった建物もついでに倒壊させたのはまずかったかも知れない。
懸念に自ら判子を押したようなものなのだから。
廃墟同然…といっても過言ではなかったが、一応は公共物である以上、むやみやたらに破壊するのは望ましくないだろう。
 「…はあ……」

 『何か心当たりでもあるのかね? …まあ、その顔は心当たりがありそうな顔だが。』

…―――心当たり。
そんなものはありすぎるほどある。
それ以外の心当たりなんて考えられないほど、今の自分の思考を占めているのはその男のことだけだったから。
 「…カズマ。」

力の差が歴然としているというのに、諦めることなく抗う男。
倒しても、倒しても立ち上がり、戦いを挑んでくる男。

そればかりか、今では自分と同等に戦えるだけの力すら手にして。
…目が離せない。
無視できない。
強い力で引っぱられているように、あの存在を見逃すことが出来ない。

渇望する。
執着する。
そんな相手は初めてだから、動揺が小波のように広がって、不意に力のコントロールが効かなくなる。

 『ともかく、被害が深刻にならないよう気を付けたまえ。』

 「…ふう……」
これでは堂々巡りだ。
何とか状況を打開しなければならないと思いつつ、その為の手段が何一つ浮かばない自分の頭をこの時ばかりは恨めしく感じながら、劉鳳は自室に向かって足を進めるのだった。



 「…おっと。」
 「…―――!!」
考え事をしながら歩いていた劉鳳は、角を曲がったところで視界を埋めた影に目を見開く。
そして、咄嗟に足を止めるが、避けきれずに反対から来た相手にぶつかってしまった。
 「す、済まないッ。」
胸に飛び込むような格好になってしまった劉鳳が慌てて身を離す。
 「いーや、オレは別に構わないさ。」
飄々とした言葉に顔を上げれば、ぶつかった相手はクーガーだった。
かなり勢い良くぶつかったので、相手が女性だったら吹き飛ばしていたかも知れない。自分の不注意ではあるが、相手が男で、しかも自分より上背のある相手で良かったと少しだけ安堵する。
 「本当に済まなかった、クーガー。」
 「気にするな。お前さんがぶつかったぐらいでどうこうなるヤワな身体はしてないんでな。」
戯けたような言葉に劉鳳が苦笑する。
そんな劉鳳を眺めていたクーガーだったが、彼が誰かにぶつかるという希な事態に何かがあったことを感じ取る。
普段の劉鳳は気配を先読みして人を避けているので、出会い頭にぶつかるということはあまりどころかまるでない。
そんな劉鳳が自分にぶつかってくるということは、そんなこともできないぐらい何かに気を取られていたと言うことだ。
 「…何かあったか?」
 「え…?」
 「お前さんが誰かにぶつかるなんぞないだろう。…だから、何かがあったんじゃないかと思ったんだが。」
クーガーの指摘に劉鳳が言葉に詰まる。
飄々とした態度とは裏腹にクーガーはかなり思慮深く、広い視野を持っている。
アルター能力が強いばかりではなく人間的に度量の大きなところがあって、人付き合いに不器用な劉鳳でも自然と付き合える相手だった。
 「………」
 「話にくいことか?」
 「そういう訳ではないが……」
いい考えが自分で浮かばない以上、誰かに相談することも吝かではない。
そして、クーガーはうってつけの相手とも言えたが、自分の中の曖昧すぎる感情を相談するのは憚れるのもまた事実で。
 「…もしかして、カズヤのことか?」
視線を彷徨わせながら考え込む劉鳳に、クーガーはずばり、と切り込んだ。
というか、朴念仁で生真面目で鈍感な劉鳳が女性関係で悩むなどということは絶対にありえない。それは神に誓って―――信じていないが―――賭けてもいい。
それ以外と言えば、カズマのことしか思い浮かばない。
周囲に全く気を配らない劉鳳があれだけ気にしているのはカズマしかいないのだから、察しのいい人間でなくてもすぐに回答を導き出せるだろう。
だがしかし、自分のことは自分が一番よく分からないと言われるが、正しく劉鳳はそれだった。
 「カズマだ。―――………なッ! 何故分かった!?」
 (…鈍いぞ、劉鳳ッッ)
ナチュラルにカズマの名前を訂正してから焦る劉鳳に心の中だけでツッコんでおく。
 「―――カズヤがHOLYに入隊…っても研修期間にも満たなかったが、その後から任務でのミスが多くなっているだろう?」
ミスと言っても大したことはない。
ちょっとばかり怪我人を増やしたとか、建物を破壊したとかいった程度のものだが、それでも劉鳳にとっては珍しいミスに違いない。
 「………」
 「一人で考えるより、誰かに相談した方が出る答えもあるぞ。」
 「……それも、そうだな。」
確かに、自分の弱い部分を見せているようで恥ずかしいが、取り返しのつかないことになってからでは遅すぎる。
 (さっさとケリをつけなければ他に迷惑がかかるしな)
劉鳳は決意も新たにクーガーに視線を向けると、徐に口を開いたのだった。



ひゅるるううぅ〜〜〜、と。
外にいるわけでもないのに二人の間に冷たい風が巻き起こる。
解決は出来ていないが、取り敢えず自分のもやもやした心の内を口にしたことで劉鳳は少しだけすっきりしていた。
しかし、劉鳳の告白を聞いて、目を剥いたのはクーガーの方だった。
 「…………………劉鳳。」
 「どうした?」
 「本気、なんだな?」
何故そんなに深刻な顔をしているのだろう。
やはり、自分は何か大それた相談事を持ちかけてしまったのではないかと思いつつ、劉鳳は首肯した。
 「ああ、正直な俺の気持ちだ。…頭からあの男のことが離れない。あの男に会い(決着をつけ)たいのだが、それでもあいつを目の前にすると感情のコントロールが効かなくなってしまう。まるで、自分が自分ではないような、そんな気にさえなってしまう。」
きっぱりと言い切った劉鳳の言葉にクーガーも頷く。
 「……よし、お前さんの気持ちは分かった!! このストレイト・クーガー、お前の想いを成就させるために一肌脱がせてもらおう。この最速の男に任せておけば、カズヤなどすぐにオとすことができる!!!」
 「クーガー……」
 (この状況を打開する策はそんなに大変なことなのか!? だが、あのカズマを屈服させることができるとは…さすがだな、クーガー!)
クーガーの熱意に押されるように劉鳳の内で新たな意志が燃え上がる。
だが、クーガーの言葉と劉鳳の認識が微妙に食い違っていることなど、神ならぬ人が気付くはずもなかった。





顔を合わせれば角を突き合わせ、ケンカ三昧を繰り返す。
犬猿の仲、ハブとマングース、梅干しとうなぎ(?)、すいかと天ぷら(??)等々で言い表せるほど、どこから見ても二人の仲が悪いのは周知の事実…のはずだった。
 (………な、何がどーなってんだ???)
目の前にいる、名前を刻んだ相手をポカンとした顔で見つめる。
冷徹な、蔑んだ瞳しか見たことのない相手の暖かな微笑にカズマの思考は堂々巡りをしていた。

HOLYの出動を知り、もしかしたら劉鳳とアレの続きが出来るかも知れないと思って繰り出してきてみれば、案の定、そこには自分を完膚無きまでに叩きのめした男がいた。
他の連中に邪魔されたくなかったから、劉鳳だけをおびき出して場所を変えれば、振り向いた先でムカつく男がキレイに笑っていた。

 「カズマ……」
威圧的な色の欠片もない声は甘く耳に届く。
自分へと近づきながら、きちんとしている襟元を何故か片手で崩す劉鳳にカズマの顔が赤く染まった。
 「りゅ、りゅ、りゅ、劉鳳…さん?????」
僅かに伏せられた瞳。
長い睫毛が白い肌に影を落とし、濡れて艶やかに光る唇は艶めかしい。
舞うように持ち上げられた手がするりと首に回り、自分の方が身長が高いはずだというのにわざと下から見上げてくる瞳にカズマの思考は完全にフリーズした。
 (さすがだ…こんなにも簡単にカズマに接近できるとは……)
一方、劉鳳と言えば、何故カズマが赤くなっているのか分からないままではあったが、簡単にカズマの襟を取れたことに気を良くしていた。

 『…―――まず出会い頭に笑顔を見せる。これでカズヤの動きは止められるはずだ。そして、後はそうだな…その制服の襟を崩しながら上目遣いで腕を首に回せば完璧だな。』

どうして襟元をくつろげさせなければならないのかと聞いた自分に、クーガーは『演出と効果』と分からないことを言っていたが、その動きでわたわたとしていたカズマが完全に動きを止めたことで納得できた。
 (ふッ、無様だな…)
腕に捕らわれて固まってしまったカズマに、やっと自分の不利を悟ったのか、と劉鳳は内心で優越感に浸る。
やはりどこかが微妙に食い違っているが、この状況にツッコんでくれそうな人は周囲にはいなかったし、仮に誰かが通りかかったとしても、端から見たら二人のそれは熱烈なラブシーンに見えただろう。
 「…カズマ。」
すっ、と顔を近づけ、唇に触れんばかりの位置で名前を紡げば、ぎゅっとカズマの目が瞑られる。

 『迫られたカズヤは隙を見せるはずだ。それを見逃さず、一気に押し倒せ!!』

クーガーの教えのとおり、その一瞬を逃さずにカズマの襟を自分の方へと引きつけた劉鳳は、その動きのままに重心を崩すカズマの足を横なぎに払って彼を地面へと倒した。



艶やかな唇が紡ぐ自分の名。
くつろげた襟元から覗く肌とくっきりと浮き出た鎖骨。
濃い緑なす髪が肌の白さを際立たせ、甘く響く声が意識を縛る。
常にない劉鳳が醸し出す色香からどうしても目が離せなくて。
やけに生々しい音で嚥下した唾に気付きもしなかったカズマは、次の瞬間に反転した視界に声を上げる間もなく地面に倒れ伏した。
 「〜〜〜〜〜ッツ! い、ってぇ…」
背中を鈍く襲った衝撃に息を詰める。
その痛みで正気に戻ったカズマは、妙な態度で自分を惑わす劉鳳に舌打ちしつつ身体を起こそうとするがそれは叶わなかった。
 「な……ッ!」
身体を跨ぐようにして上にのしかかっている劉鳳に絶句する。
見上げた視線の先で自らでくつろげた襟元に手を差し入れ、カズマに見せつけるようにしながら一つ、二つとボタンを外す劉鳳に上手く声が出せない。
 (ど、…どーしてこういうことになってんだぁ?????)
パニくる頭を押さえつつ、カズマは劉鳳の行動を暫し振り返る。

…どう考えても、誰が見ても劉鳳は誘っているようにしか見えなかった。

しかし、今の状況から言えば自分は押し倒されているワケで。



つまり…



それは…



…犯られちゃうってことデスカ!!

DIE・ピンチ!!!!!!



 (ぎえええぇぇぇぇッ!! マジでぇ!!??)
何で、どうして、こうなった!?
あれだけケンカを繰り返してて、どうしてアナタそんな気になったんデスカ???
正しくパニック絶好調!!!
ぐるぐると渦巻く思考に回る世界。
濡れて光る劉鳳の血石の瞳が誘うように瞬いていて。
 (…………ふ、ふふ…ふふふふふふ〜〜〜)
…本日2度目のパニックに襲われたカズマの、少ない許容量しかない脳味噌はそろそろ限界に達しようとしていた。



 (マウントポジションを取らせて貰ったぞ……)
引きつった表情のままで自分を見上げてくるカズマに向かって、劉鳳は婉然とした笑みを見せる。
あっさりとカズマを引き倒せたばかりか、こんなにも楽にマウントポジションを取らせてもらえるなど思っても見なかった。
クーガーが言うところの、訳の分からない『演出と効果』にも自然と力が入ってしまう。
このまま有無を言わさずカズマを殴り飛ばすのもいいが、ここまで上手くいったのはクーガーのおかげだ。最後まで彼の言うとおりに動いた方がいいだろうと考えた劉鳳は、クーガーの教えを思い出す。

 『そして、押し倒してしまえばこっちのものだ!! 後は煮るなり焼くなり自由にできる。…キスのひとつでもぶちかませばカズヤだって観念するだろう。カズヤは女好きで男には興味がない奴だが、既成事実を作ってしまえば何とかなる!! ここは押しの一手だ、劉鳳ッ!!!』

 (………煮るなり焼くなりはいいが)

キス、ですか??????

キス。
口づけ。
接吻。

…―――敬意、愛情を表すために、相手の口、手、顔などにくちびるをつけること(旺文社・国語辞典改訂新版抜粋)。

 (………そうか、ここまで俺相手に善戦したカズマに対して敬意を表せと言うんだな!!)
敵に対しても敬意を表すことを失念しないとは。
 (俺もクーガーのような男にならないければならないな……)
しみじみと感動している劉鳳と、彼にカズマ攻略のイロハを教えたクーガーとの考えは、やはり、マリアナ海溝より深く、サハラ砂漠より広く食い違っていた。





 「カズマ……」
固まっている相手の頬にするり、と手を伸ばす。体温の低い自分にとってカズマの肌は熱く感じた。子供っぽく、また、気性の激しさそのままを表しているようなそれに、劉鳳はどこか微笑ましいものを感じてしまう。
だが、劉鳳は自らの気を引き締めると、自分を凝視しているカズマに向かい婉然と笑いかけてから、そっと唇を近づけていった。
 (…既成事実とやらを作らせてもらうぞ)

これでカズマの敗北が決定的になる…―――ッ!!

そんな劉鳳に隙があったのか。
それとも、カズマの犯られたくないと思う気持ちが強かったのか。
赤く色づいた劉鳳の唇が迷うことなく自分へと落とされようとした瞬間、カズマは肩に添えられていた劉鳳の腕をガシッ、と掴むと、火事場の馬鹿力さながらの勢いで上に乗っていた劉鳳と体位を入れ替えてしまった。
 「…―――クッ!?」
 「…………」
ドッ、と鈍い音と共に劉鳳の背に痛みが走る。
 (しまった…!!)
両手を拘束され、ポジションを逆に取られてしまった劉鳳は、頭上から降ってくる追いつめられた獣のような光を宿すカズマの目に背筋を震わせた。
 「…ッつ! はな…―――っん!!」
そんな自分を恥じるように視線をきつくした劉鳳は、力強く握りしめられた腕を振り払おうと藻掻きながら文句を言うために口を開きかけるが、その瞬間を待ちかまえていたように、カズマの唇がそれを塞いでしまった。
 「…ンん、…ん〜、ん…んんぅッ!」
遠慮なく口内を蹂躙してくるカズマの舌に息苦しさが増していく。感じるカズマの舌は何だが艶めかしい生き物のようで。一頻り劉鳳の唇を味わったカズマが彼を解放したとき、劉鳳は初めての経験からすっかり息が上がってしまっていた。
 「ふあぁ…ふッ…、はッ…はあ―――…ッ!」
濡れて艶やかになった唇から零れる吐息。
その間からちろちろと覗く舌の動き。
白い肌は薄く上気し、はだけられた胸が息に合わせて上下する。
涙に滲んだ瞳はその色を増し、劉鳳の見せる、無防備な幼ささえ感じる表情は図らずもカズマの加虐心をそそっていく。
普段の清廉とした態度から、今の劉鳳は全く想像もつかない。
けれど、そのギャップにどこか惹かれてしまう。
劉鳳は敵で、名前を刻んだ相手で、自分は女好きでコイツは男だけど。
 (……やべェ、コイツ、スゲェタイプだったりして…)
…なけなしの理性も底をついていたカズマが湧き起こるその衝動に逆らえるはずもなかった。
 「…(コイツから誘ってきたんだし、ま、いいか)―――劉鳳〜♪」
 「へっ? …ま、待て…待てええぇぇっっ、何をする気だッ、カズマああぁぁぁ〜!!!」
かばっ、とのしかかってくるカズマに嫌な予感を覚えた劉鳳が、酸欠で飛ばしかけていた意識を無理矢理に引き止めつつ慌てて身を起こしかけるが時既に遅し。
何も知らない赤ずきんちゃんは、無知故に煽ってしまったオオカミさんにおいしくいただかれてしまったのだった。



そして―――。

 「劉鳳ッ! 今日こそオレのものになってもらうぜ!!」
 「///// な…、なれるかああぁぁぁぁっっ!!!」
…この、誤解とすれ違いと勘違いから始まった関係が恋にまで発展するか否かは、赤ずきんちゃんをおいしくいただいちゃったオオカミさんの手腕にかかっているのは言うまでもない。
end


『危ないアバンチュール』編へvvv